ぽんとぺんの中学受験(時々英語)

少ない文字数では書ききれないことを、思いついたままに書く。

帰国子女


ぼんやりと考えていることを言語化するのは難しい。だから綺麗にまとめられる気がしないけれど、断片的にでも書き出していこうと思う。


コロナ禍のせいで、話す人が夫しかいなくなり、その夫も家にいるとはいえ、仕事中は話せない。家にはテレビもないし、しんと静まった家で黙々と家事や子供の学習の準備をして過ごす日々。


話さないと、びっくりするくらい話せなくなった。適切な単語が出て来ず、使うのは単純な言葉ばかり。そのうち記憶力が落ち、頭の回転が遅くなった。


海外でのロックダウンを含め丸2年以上こんな閉じこもった暮らしをしたせいで、随分と知力体力共に衰えた。文章を書くことで少しでも私の頭が働くようになればいいけど。



この海外生活5年+日本生活1年で、私の子供はすくすくと成長し、そして海外で育った故に、ちょっと成長の仕方が一般的ではない。子供の事で悩みや愚痴があって人に相談しようにも、似たような例があまりなく、子育てをお母さん同士で心から共感しあうことが難しくなった。

海外で日本人のお母さんたちとも仲良くなったが、海外に住んでいた子供はそれこそほとんど共通点がないんじゃないか、と言うくらい状況が違う。

世間で言うところの帰国子女が、我が家には2人いる。


我が家の娘は帰国子女だが、バイリンガルだとは思わない。

現地校では英、算は一番上のグループにいたし、優等生として生活していた。

帰国後、昔のような勢いはないけれど、英語で困ることは無い。また、小学校生活で困ることもほぼ無く、今のところ中学受験塾でも困っていない。

それでも、バイリンガルだとは到底言えない。

この教育の結果が出るのはまだまだ先。彼女達が大人になって、やっとはっきり見えてくるのかなと。


そもそも現地の学年相当の英語レベル、ネイティブレベルとは何をさすのだろう。

表面上英語が話せても、なんだか違う気がする。


海外で子どもを育てて、また、中学受験塾に通わせて感じるのは、子どもが何かを得ている時には、必ず何かを失っているということ。

特に、海外生活時の日本語の喪失は凄まじく、帰国後1年以上経ってやっと日本語力で失った部分が多少埋まりつつあると感じる。そしてそれは間違いなく、英語力の喪失だと思う。


中学受験をすることで失ったものは、我が家にとってはゆとりある生活。ご飯食べて、お話しして、ボードゲームして、週末は散々遊んで、、という生活をするのは難しい。家族揃って夕飯を食べられない日が週3日ある。


それでも、それを犠牲にしても、得られる物が大きいので中学受験生活を続けている。そもそも娘は犠牲だと思っていない。学ぶことが楽しく、この生活が苦痛ではないのだ。


そんな感じで生活する我が家の子どもは、英語の授業でしか外で英語を話さないので、既に日本生まれ、日本育ちのような顔をして生活している。海外帰りだとは言わなければわかるまい。それでいいと思う。


とある帰国子女の一例。